太宰府天満宮は学問の神様として有名ですが‥それ以外にも飛梅伝説や飛松伝説もあったようです!
みなさん知っていましたか!?
そこで、飛梅伝説と飛松伝説だけではなく、道真公の歴史について紹介したいと思います。
飛梅伝説について3分でわかるざっくり解説
飛梅は、太宰府天満宮の本殿に向かうと、右側にある梅が飛梅です。
樹齢は1000年を超えるんだそうです!
今はこの飛梅をずっと残していくために、クローン技術をつかった苗木の研究をしている貴重な梅です!
まだみたことがない人は、一度飛梅を観光のついでに見に行ってみてはどうでしょうか?
飛梅伝説とは?
大人に成長した道真公は、京都から九州の太宰府に、移動されました。菅原道真公が神さまになった理由があります。
京都を去るときに、自宅の梅の木に対して詠んだ和歌は!?
東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
【よみ】
こちふかば においおこせよ うめのはな あるじなしとて はるはわすれそ
【意味】
春風が吹いたら、香しい花を咲かせておくれ梅の花よ。
主がいなくても、春を忘れてはいけないよ。
こちらの和歌は有名で、別れの歌になります。
学生の頃、国語の授業できいたことはありませんか!?
和歌には、道真公の梅への愛情だけではなく、別れの想いが込められた言葉ですが‥この和歌を聞いた、梅の木がご主人さまと一緒にいたいと思い、一日で太宰府に飛んで行った場所で木が育ったようです!
梅が鳥のように飛んだことがあったので、「飛梅伝説」と語り継がれてきました。
飛松伝説とは?
飛梅伝説と同じように飛松伝説も有名です。
道真は、屋敷の庭にある木のなかでも、松、梅、桜を自分の子供のように愛情をもって育てたようです。
道真が大宰府に移動させられることを、知った桜の木は今まで元気に育っていたのに、突然枯れたようですが、梅の木は東風に乗せて、花の香りを道真の後を追うかのように、西へと送っていたようです。
松の木は、何も問題は無いかのように、元気に育っていたようです。
道真は、人と違って、心がない草や木は、桜や梅は慕ってくれたのに、松の木は、何も思わないのかと悲しんでいましたが‥その主の言葉をきいた屋敷にある松の木は、すぐ都より空を飛んで、道真のもとまで飛んでいったようです!
大きな松の木は、大正年間の雷が原因で枯れてしまったが、山の東の端にある「板宿八幡神社」の境内に、「飛松社」として松の大きな株が保存されて、「大宰府の飛梅」と同じように「板宿の飛松」と呼ばれているようです!
今も昔と変わらず‥松の木が飛んできた場所を「飛松岡」と呼んでいるようです。
飛梅伝説と飛松伝説は、能の演目「老松」になっているようです。
梅と松はおめでたい木で、新年を迎えるお正月にぴったりな演目として人々に愛されています。
飛梅伝説の舞台となった太宰府天満宮ってどんなとこ?
太宰府天満宮は、菅原道真(すがわら みちざね)公の、お墓の上にご社殿を建てて、魂をずっと祀っている神社です。
「学問や至誠や厄除けの神様」で、日本全国だけではなく、広く世のご崇敬を集めて、年に約1000万人がおまいりにきているようです。
全国の天満宮のご祭神菅原道真公は、天神さまとして親しまれています。
学者や政治家であった道真公が神として祀られ、1000年以上も信仰されてきたようです。
菅原道真公とは?
菅原道真公が生まれた菅原家は、代々宮廷の学者を務める家系で、小さい頃から、とても優秀だった道真公は、宇多天皇、醍醐天皇に重用され、学者の身分でしたが、右大臣の地位になりました。
出世したことで、周りの人に反感を招いて、左大臣藤原時平が嘘の告げ口によって、都から遠く離れた北九州の大宰府に左遷されたあとは、2年後に亡くなりました。
道真公亡くなった後に、時平が病気で亡くなったり、天皇と貴族が集まっていた、宮廷の清涼殿に、雷が落ちるなど、不思議なことが起こりました。
道真公の左遷に関わった人がたくさん亡くなっていました。
特に清涼殿におちた雷事件が、「道真の祟り」と噂されて、道真の怨霊は雷神と結び付けられて、「天神さま」として恐れられるようになりました。
道真公の魂が安らかに眠れるように、天皇の命によって建てられたのは、今の「太宰府天満宮です。
道真公の無実が証明されたあとは、「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」という神様の御位を贈られて、「天神さま」と人から伝えられていきました。
長い月日がたちましたが、道真公は、今でも有名です。太宰府天満宮は全国約12,000社ある天神さまを祀っている神社の総本宮と呼ばれています!
まとめ
太宰府天満宮は、学問の神様として、有名な場所です。それ以外にも飛梅伝説と飛松伝説は、初めて知りました。
菅原道真公が左遷される話をきいた梅が、道真公のあとを追うことになったのは驚きました。
飛梅伝説と飛松伝説の二つの和歌は、切ない歌なので、当時道真公がどんな気持ちで、和歌をうたったのかをイメージすることができますね。
菅原道真公さまは、今天神さまとして太宰府天満宮に祀られることで、安心して休んでほしいですね。